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“人生に寄り添う歌”を届けて——シャンソン歌手・佐竹律香さんインタビュー

はじめに――シャンソンをご存じですか?

フランス語で「歌」を意味する“シャンソン”。
哀愁を帯びた旋律にのせて、人生の喜び、愛、別れ…人の感情そのものを語りかけるように届けてくれる、味わい深い音楽です。

日本では、越路吹雪さんや岸洋子さんなどが広めたことで知られていますが、近年では少しずつ耳にする機会が減ったという方も多いかもしれません。

今回は、そんなシャンソンを人生の伴侶とし、長年にわたって歌い続けている歌手・佐竹律香(さたけ りか)さんにインタビューしました。

舞台に立ち続ける原動力や、人生の節目でシャンソンが果たしてきた役割、そしてこれからの夢まで——語っていただきました。

シャンソン歌手 佐竹 律香(さたけ りか)さん

1. シャンソンと出会い、人生が動き出した瞬間

- シャンソンを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

佐竹律香さんは、京都で生まれ育ちました。
実家は享保元年(1716年)創業の老舗料亭「美濃吉」。
古くから続く店を営む家に生まれたこともあり、日々いろいろな人が行き交う中で育ったといいます。

けれど、音楽に特別な興味があったわけでもなく、「歌手になりたい」と夢見たこともなかったと、当時を振り返ります。

佐竹律香さんがシャンソンに出会ったのは18歳の頃。
人生の節目ごとに、静かに背中を押してくれる“音楽”という存在と、そこで得た「もう一つの生き方」との出会いでした。

佐竹さん

母が宝塚を好きだった影響で、子どもの頃からクラシックバレエや日本舞踊を習っていたんです。
でも、体格の問題でバレエを続けるのは難しいとわかって、何を目指していいかもわからずにいました。そんなとき、母が“あなたにはシャンソンが合うんじゃない?”と何気なく言ったんです。

佐竹さん

イーグルスとか、“ホテル・カリフォルニア”とか、洋楽のロックが流行っていた時代。
シャンソンって何?っていうくらい、未知の世界でした。

いざレッスンを受けてみることにしたら、教えてくださった菅美沙緒(すがみさお)先生がとても素敵な方で、一気に引き込まれてしまったんです。

京都の国際ホテルで、紅茶を飲みながら談笑してレッスンするような、ちょっと優雅な空間でした。歌というより、“文化”を学ぶような時間でしたね。

次第にシャンソンの魅力に惹かれ、大学時代には本場・フランスへの留学を夢見るように。
しかし、そんな矢先、お母様の病気が発覚し、家族として看病が必要な状況になり、京都に残る決意をされたそうです。

22歳のとき、お母様の体調が思わしくない中で、お父様の後押しを受けて初のソロコンサートを京都府立文化芸術会館で開催。

その翌年には東京へ。結婚しアメリカへの転居を経て、シャンソンからは一度距離を置くことになります。

そんな佐竹さんの“音楽人生”が再び動き出したのは、約20年後のある日。

偶然、街で再会したシャンソン歌手しますえ・よしおさんが、何気なくくださったひとことがきっかけでした。

佐竹さん

「また歌ってみたら?」と声をかけられて。社交辞令だと思いつつも、その言葉が心に残りました。
もう一度、あの舞台に立ちたいって、自分でも驚くほど自然に思えたんです。

2. シャンソンの魅力とは何か?

- 佐竹さんにとって、シャンソンのいちばんの魅力ってどんなところにあると思いますか?

佐竹さん

歌う側として感じる魅力は、“年齢を重ねても続けられる”ということです。

たとえ声が出なくなっても、語りで届けられるのがシャンソン。母も“いつまでも歌えるからいいのよ”とよく言っていて、今になってその意味がわかる気がします。

歌を通して、京都の友人たちともずっと繋がっていられる。それが、何より嬉しいんです。

シャンソンの多くは、人生の機微を描いたもの。
そのときの自分の経験や感情と重ね合わせながら歌うことができるのも、特別な魅力のひとつだと語ります。

佐竹さん

私は役者ではありませんが、シャンソンの中では、強い女性にも、儚く脆い女性にも、時には奔放な女性にもなれる。まるでその人物を生きるように歌えるから、毎回新しい自分と出会えるような感覚があります。

一つひとつの歌の中に、人生の断片があり、誰かの物語が息づいている——

歌うたびに別の誰かを演じ、同時に、自分自身の深い場所を見つめ直しているのかもしれません。

3. 伝えたいのは「言葉」と「物語」

- シャンソンを歌ううえで、特に大切にしていることはなんでしょうか?

佐竹さん

私は、歌詞をきちんと届けることを常に意識しています。
曖昧なニュアンスではなく、一語一語をしっかりと伝えたい。メロディーももちろん大事ですが、心を動かすのはやはり言葉。

私の歌そのものよりも、聴いてくださる方がそれぞれの人生と重ねて何かを感じてもらえることを願っています。

また、コンサートでは映像と音楽を融合させた演出にも取り組んでおり、その世界観づくりにもこだわりがあるといいます。

佐竹さん

フランスやウィーンの街並みなど、美しい風景をスクリーンに映し出すことで、音楽がその場所へと連れて行ってくれるような感覚を味わっていただけたら嬉しいですね。
“あそこに行ったなぁ”と旅の記憶がよみがえったり、誰かとの時間を思い出したり。音楽とともに記憶がほどけていく、そんなひとときを届けたいんです。

4. 歌が与えてくれた、かけがえのない“役目”

- これまでのお話でシャンソンって本当に“人生”と深く結びついた音楽なんだなと感じました。佐竹さんご自身も、歌う中でそう実感されたような出来事はありますか?

佐竹さん

いちばん心に残っているのは、長年の友人を亡くしたときのことです。それまでももちろん“歌は人生に寄り添うもの”という思いは持っていましたが、その出来事を通して、より強く実感しました。

学生時代からの親しいご友人が、病気を患っていると知らされたのは突然のことだったそうです。

佐竹さん

学生時代からの友人だったんです。ある日、彼女が重い病気だと聞いて、驚きました。
でも、本人はそのことをほとんど話さなかったので、後になってからそのことを知って。

急に東京に来てくれるようになって、私のコンサートにも顔を出してくれて、一緒にご飯を食べたりもして
“元気そうでよかった”って、正直それくらいにしか思っていなかったんです。

まさか…本当はもう、時間が限られていたなんて思いもしませんでした。

佐竹さん

数か月後、彼女が亡くなったと連絡をもらいました。葬儀の前日に、ご遺族の方からお電話があって
“あなたの歌が大好きだったから、葬儀でシャンソンを歌ってあげてほしい”って言われたんです。

……すぐには答えられませんでした。泣かずに歌える自信がなくて。

その思いを旦那さんに相談すると、こう言われたといいます。

佐竹さん

“絶対に泣いてはいけない。プロとして、彼女を”歌”でしっかり送り出してあげるべきだ”って言われたんです。
主人の言葉に背中を押されて、覚悟を決めました。
自分の気持ちよりも彼女や彼女のご家族のためにと思って歌いました。

佐竹さん

思い返せば、彼女の結婚式でも私は歌を贈っていたんです。
そして今度は、最期のお別れのときにも、歌で送り出すことになった。

そのとき初めて自分の歌が、人の人生の節目に寄り添っていたんだって気づきました。表向きには口にしなくても、心の中で大切にしてくれていた人がいた。歌が人の想いを繋いでくれるんだって思った出来事でした。

この経験は、佐竹さんにとって大きな転機となったそうです。

「歌が持つ力」と「誰かの人生に寄り添う」ということの意味を、深く考えるようになったと語ります。

5. 空を見上げて思い出す、 “楽しく元気に生きる”ための魔法の言葉

- 『ふれあい』のコンセプトは「今日を、楽しく、元気に」なんですが、佐竹さんが楽しく元気に生きるために心がけていることはありますか?

佐竹さん

悩みを溜め込まないことです。“今日空晴れた”っていう言葉。母が病床で教えてくれた、大切な言葉なんです。

その言葉は日本の代表的な染色工芸家の芹沢銈介(せりざわけいすけ)さんが好んで使った言葉として知られています。

そう語る佐竹さんにとっても、この言葉は人生の折々で支えとなってきた、特別な意味を持つものだといいます。

この言葉と初めて出会ったのは、佐竹さんが24歳の頃。
病床に伏していたお母様の病室の中で、その額が飾られていたことを今でもずっと覚えているそうです。

佐竹さん

“空は、どんなときも必ず晴れる”っていう希望の言葉なんですよね。当時の私には、ちょっと抽象的に感じていたんですけど…ある出来事をきっかけに、その意味が心に沁みるようになりました。

そう語る佐竹さんが、強く思い出として残しているのが、三つ子を出産したときのことでした。

三人とも極小未熟児として生まれ、特に末のお子さんは768グラムという小さな命。
医師からは「助からないかもしれない」と告げられ、ご家族の間にも諦めの空気が漂いはじめていたといいます。

佐竹さん

でも、私はなぜか、“きっと大丈夫”って思えていたんです。どこかで、そう信じていました。
毎日ミルクを届けに病院に通っていて、ある日、玄関を出たときにふと空を見上げたんです。

澄んだ青空で…そのとき、母の言葉がよみがえってきて。
“今日空晴れた”って。ああ、そうだ、大丈夫だ、って思えたんですよね。

不安や焦りに飲み込まれそうになる日々の中で、ただ一つ、心に残っていた言葉。

佐竹さん

よく“楽観的すぎる”って言われることもあるんですけど(笑)、私は“なんとかなる”って本気で思ってるんです。

たとえば、私には4人の子どもがいるんですが、毎朝4人分のお弁当づくりが時間ギリギリでも、「絶対に間に合う!」って思えば、ちゃんと間に合うんですよね。不思議だけど、そういう気持ちの持ち方って、本当に大事だなって感じています。

ささやかな日常から、大きな困難に直面した瞬間まで。
どんなときも、空を見上げて「今日空晴れた」とつぶやく。

それはこれからも、佐竹さんが前を向くための”おまじない”のような言葉なのかもしれません。

6. 今取り組んでいること、そして未来へ

- 今取り組んでいることやこれからの人生に向けた目標はありますか?シャンソンに関することでも、それ以外でも構いません。

佐竹さん

何年も前から様々な方にご協力いただいたり、ご依頼いただいてチャリティー活動に積極的に取り組んでいます。

佐竹さんは、高齢者施設や地域イベントでのコンサートを通じて、「会場に足を運べない方のもとへ、こちらから音楽を届けに行く」——そんな、シャンソンの新しい在り方を模索しているそうです。

佐竹さん

70代、80代のお客様が多いので、夜のコンサートだと来づらい方もいらっしゃいます。だから基本は昼の開催。できるだけご負担なく、音楽を楽しんでもらえるようにしています。

実際これまでに多くの高齢者施設や地域のホールでボランティア公演を重ねてきました。
衣装や演出も“本番と同じ”クオリティで行うことで、普段なかなか外出が難しい方にも、非日常のときめきを感じてもらえるよう心を尽くしているといいます。

さらに、「もっと多くの人に、もっと気軽にシャンソンを楽しんでもらいたい」との思いから、SNSやYouTubeの活用も、今後の大きなテーマとして考えているそうです。

佐竹さん

今はまだ、チケットの申込みもファックスという世界ですが(笑)、これからはもっと幅広い世代にもシャンソンの魅力を伝えていけるよう、発信の方法も工夫していきたいですね。

7. 読者へのメッセージ

最後に、「元気に毎日を過ごすコツは?」とたずねると、佐竹さんはこう答えてくれました。

用事がなくても、用事をつくって外に出てみること
出会いも、チャンスも、全部“外”にあると思うんです-

振り返れば、シャンソンとの出会いも、再出発も、人生を変えるような出来事は、どれも“外へ出ていたからこそ”だったと語る佐竹さん。
どんなときも“今日空晴れた”と前を向いて歩んできたその姿には、人生の喜びや哀しみを歌うシャンソンの世界が重なりました。

歌で誰かの心を癒し、人生に寄り添う——
佐竹さんの歌声は、これからも人々の人生にそっと寄り添い、心をあたためてくれるに違いありません。

佐竹 律香(さたけ りか)profile

享保元年(1716年)創業の老舗料亭「美濃吉」の家に生まれ、四季折々の美意識やおもてなしの心に囲まれて育つ。

18歳の時から、シャンソン歌手菅美沙緒に指示。その奥深い世界観に惹かれて歌の道へ。1983年 第1回佐竹律香シャンソンリサイタル(京都府立文化芸術会館)開催。1984年 第2回リサイタル(京都勤労会館)開催。その後上京して、「銀巴里」「蟻ん子」等のシャンソニエにレギュラー出演。4年間の米国生活~ボストン、ワシントンDCにてコンサート活動~を経て帰国。

現在はコンサート活動に加え、高齢者施設や地域イベントでのチャリティー公演にも力を注ぎ、「人生に寄り添うシャンソン」を届けている。

佐竹 律香(さたけ りか)
公式サイト

今後のイベント情報

●5月26日(月)自由が丘ラマンダ 佐竹律香ソロライブ

オープン18:00 ステージ18:30より
ラマンダ:目黒区自由が丘2-9-10 ラ・コルドビル3F TEL:03-3724-9959

●6月1日(日)佐竹律香コンサート

ロームシアター京都 サウスホール 開演14時

●7月7日(月)第63回パリ祭

文京シビックホール 大ホール 開場16:30 開演17:00 S席 ¥12,000

●7月13日(日)みのきちパリ祭

京懐石みのきち新宿住友ビル2階 昼の部12時 / 夜の部17時
みのきち新宿住友店:新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル2F TEL:03-3346-2531

●10月25日(土)佐竹律香シャンソンコンサート

赤坂草月会館 草月ホール 開演15時 全席指定 ¥6,000

ご予約は、佐竹律香まで 
090-3230-0881

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