「季刊誌ふれあい」デジタル版
人生を彩る絵画のように― 日本ソムリエ界のパイオニア・磧本修二氏が語る、人生を豊かにするワインの楽しみ方
目次
はじめに――長い人生を、ワインのようにゆっくりと味わう。
東京・六本木の静かな一角に、まるでフランスの小さなビストロのような雰囲気を漂わせるお店があります。
その名は「ミスター・スタンプス・ワインガーデン」。
重厚で上品な佇まいの店内には、棚にワインボトルが並び、磨き上げられたグラスが光を受けてきらめきます。
ウッド調で温かみのある壁には、趣のある油絵が飾られ、訪れる人々をやさしく迎え入れるかのようです。
オーナーは、1970年代から日本のワイン文化の発展に尽力し、世界的ソムリエ・田崎真也さんとともに学んだ仲間としても知られるソムリエ、磧本修二(せきもと・しゅうじ)さん。
50年近いキャリアを重ねてきた磧本さんが大切にしてきた想い、そしてワインを通して伝えたい「人生を楽しむヒント」について、お話を伺いました。
ミスター・スタンプス・ワインガーデン ソムリエ 磧本修二(せきもと しゅうじ)さん
1. フランスへの憧れから始まった道のり
磧本さんがワインの道を歩み始めたきっかけは、高校時代に抱いたフランスへの憧れでした。
もともと絵画やクラシック音楽が好きで、美しいものに心を惹かれる感性をお持ちだった磧本さん。
その延長線上に「いつかフランスへ行きたい」という夢があったといいます。
磧本さん
昔から絵を描くのが好きで、そういった背景もあって漠然とフランスへの憧れがありました。この店内の絵画も、自分で描いたものを飾っているんですよ。


高校では美術部の部長を務め、将来は絵の道に進みたいと考えていたものの、自らの限界を感じ、「いつかパリに行きたい」という夢だけを胸に、日々を過ごしていたといいます。
その夢が導いた先は、思いがけず“空の上”でした。
磧本さん
パリに一番近い場所は羽田空港だと思って(笑)。今思えば短絡的な発想ですが、たまたま機内食をつくる料理人の募集を見つけて、これだ!と応募したんです。そうしたら偶然採用していただくことができました。
その後羽田空港でフランス料理の料理人として8年間働いたのち、どうしてもフランスに行きたいという思いを抑えきれず、単身渡仏。
ところがフランスではなかなか雇ってもらえるところがなく、途方に暮れていたとき、偶然立ち寄ったボルドーのワイナリーが収穫期で、働き手を求めていたことが転機になりました。
磧本さん
ワイナリーの主人に「給料はいらないから、寝食だけ面倒を見てほしい」と頼み込んで、受け入れてもらったんです。
後先のことも考えていなくて、想いのまま勢いのままに進んでいた——今振り返れば、そんな時期だったと思います。

2. ワインが教えてくれた自然と人の関係
- 当時フランスのワイナリーで働く中で、特に記憶に残っていることはありますか?
磧本さん
特に記憶に残っているのは、朝3時に畑を見回りながら見上げた空。
ワイナリーでは収穫期になると、朝早く起きて数時間ごとにブドウの様子を見て回り、昼に少し眠り、夕方から収穫作業を始める——そんな生活の繰り返しでした。
この独特のリズムに体が慣れるまでには、ずいぶん時間がかかりました。
そのうち雲の動きを見ていると、何日後に雨が降るかわかるようになるんです。
ワイナリーでの生活は、まさに自然と向き合う毎日でした。
朝から晩まで畑とワインに向き合う中で、磧本さんはワイン造りの奥深さを肌で感じるようになっていきました。
磧本さん
ワインというのは10%が人の手、残りの90%はブドウを育てる土壌と天気で決まります。同じ銘柄のワインでも年によって味が違うのはそういうことです。ブドウは本当に繊細で、良いワインをつくるためには経験がものをいう——まさに、そんな世界でした。
自然とともに働くその経験は、のちの磧本さんの人生観にも深く影響を与えたといいます。
磧本さん
もともとワインは好きでしたが、そうした経験を通して、ますます惹かれていきました。
料理人の仕事も好きでしたが、やはり裏方の仕事では食べる人の笑顔が見えません。
だからこそ、表に出てお客様と直接関わりたいと思ったんです。出たがりな性格なんですね(笑)。
3. 日本のワイン文化の夜明け
帰国後は東京会館などで経験を積んだ磧本さん。
そして1976年、日本のワインレストランの草分け的存在となる「ミスター・スタンプス・ワインガーデン」に参画することになりました。
- 1970年代当時、まだあまりワインの定着は進んでいなかったと思います。その中でどんな想いを持ってワインと向き合っていたのでしょうか?
磧本さん
当時は5,000円で仕入れたワインが、高級ホテルなどで2万、3万で出されていました。
これでは一般の人はなかなかワインに手が出せない。フランスではもっと身近にワインがあるのが当たり前で、日本でもそうなってほしいと思ったんです。

そうして始めたのが、街のレストランで手の届く価格で本格ワインを提供するという試みでした。
折しもオリンピックや大阪万博の開催を背景に、第一次ワインブームが到来し、磧本さんの試みは多くの人々の共感を呼びました。
磧本さん
このお店は、前は鉄板焼きのお店だったんです。アメリカ人のスタンプさんという方がやっていらして、その当時はステーキなど提供していました。
スタンプさんとは料理やワインの話で意気投合し、そのご縁でこのお店を譲り受けました。
だから「ミスター・スタンプス・ワインガーデン」なんです。
磧本さん
もともと木造りで可愛らしいお店でしたが、少しずつ手を加えて、フランスのビストロのような雰囲気にしていきました。
食事の時間をより楽しんでもらえるように、クラシック音楽も流しています。壁がウッドなので、音の響きがとても良いんですよ。
磧本さんの言葉どおり、店の扉を開けると、左右の通路にワインが並び、まるでワイン蔵の中を歩いているような気分になります。
店内はフランスの香りとレトロな温もりが心地よく調和しており、訪れる人を穏やかな時間へと誘います。
磧本さん
コロナ禍になる前は、ご家族の集まりで利用いただくことも多くて。
お子さんがいらっしゃると、食後に絵を教えたりしていたんです。壁にかかっている絵の半分は、その子たちが描いてくれたものなんですよ。


4. ワインは科学ではなく、感性で楽しむもの
50年近いキャリアの中で、磧本さんが一貫して大切にしてきたもの——それは「ワインへの愛」だと言います。
長く学び、現場で腕を磨いてきた磧本さんですが、やがて教える側としての道にも立つようになりました。
磧本さん
恥ずかしながら、以前ソムリエの学校で教鞭をとっていたことがあるんです。
それまでずっと教わる側でしたが、いざ教える立場になると、見えるものがまったく違ってきました。
授業では“ワインの成分が何パーセント”とか、そういった知識的な内容を教えることが多かったんですが、本当に大切なのは「ワインを知りたい」「もっと好きになりたい」という気持ちなんです。
ワインを学ぶ上で、知識や理論よりも“感性”を磨くことが何よりも大切——そう感じた磧本さんは、形式的な指導よりも“ワインを好きになる心”を伝えることに力を注ぎました。
現在は学校での指導からは離れたものの、磧本さんの中にあるその信念は、今も変わることがありません。
磧本さん
これはワインに限った話ではありません。どんなことでも、まず“好きになること”が大切なんです。興味を持ち、夢中になる。そうすれば自然と知りたいという気持ちが生まれて、道がひらけていくんですよ。
5. 自然が育て、人が味わう ― その一杯に込めて
- これまでのお話の中で、ワインに込める磧本さんの想いをひしひしと感じました。お店ではどんなこだわりを持って接客しているのでしょうか?
磧本さん
お店でお出ししているワインは、すべて自分でテイスティングして選んでいます。
高いワインや長く熟成したワインが美味しいと評価されがちですが、ワインの魅力はそれだけではありません。それぞれのワインには個性があり、その個性に合わせて料理と組み合わせることで、まったく違った表情を見せてくれるんです。
ワインは単体で味わうものではなく、料理と共に楽しむもの。
そして、その時間そのものを味わうことが、ワインの本当の魅力だといいます。

磧本さん
たとえば、赤ワインの渋みが苦手というお客様にも、料理との組み合わせを工夫すると“今日の赤は美味しい”“飲めるようになった”とおっしゃっていただける。ワインと料理を一緒に楽しむことで、両方の魅力が何倍にも広がるんです。
それにワインは人間の五感すべてを刺激してくれる、唯一のお酒なんですよ。
目で色を見て、鼻で香りを感じ、口で味わう。
そしてシャンパンなら、グラスを耳にあてて“シュワシュワ”という泡の音を聴く——。
その音は、まるで優雅なクラシック音楽を聴いているように心を満たしてくれます。
6. 年を重ねることの美味 -ワインと人生の共通点
- これまで情熱を注いできたワインへの道ですが、人生との共通点はあると思いますか?

磧本さん
ワインは 『熟成』という形で年を重ねるごとに味が変わっていく。人生も同じじゃないでしょうか。
熟成を重ねたワインは、酸味や渋み、甘みがまろやかに溶け合い、深みを増していきます。
その変化を楽しむように、人生もまた、年を重ねるごとに豊かさを増していくものです。
磧本さん
私の年代になると、お客様の笑顔を見ることが一番の楽しみです。
少しの量でもいい。楽しむためにワインを飲んでいただきたい。その小さな楽しみが、人生を豊かにする一つの方法だと思うんです。
7. 読者へのメッセージ
磧本さん
自分の興味あることを好きになること。好きになったものを大切にし、愛すること。
それだけでいいんです。
私にとっては、それがワインでした。
——きっと、人生も同じなのかもしれません。
日々の中にある小さな喜びや心躍る瞬間を見つけ、それを愛し続けること。
それこそが、人生を豊かにしてくれる秘訣なのではないでしょうか。
一杯のワインが、日々の暮らしに彩りを添えてくれる。
たまには、そんなひとときをゆっくりと楽しんでみてはいかがですか?

磧本 修二(せきもと しゅうじ)profile

「ミスター・スタンプス・ワインガーデン」 オーナー・ソムリエ。
熊本県出身。20代で渡仏し、ボルドー地方でワイン造りを学ぶ。
帰国後、東京会館などでの経験を経て1976年より「ミスター・スタンプス・ワインガーデン」に参画。
日本ワイン界の草分け的存在であり、多くの後進を育成。現在も同店のオーナー・ソムリエとして、お客様にワインの楽しさを伝え続けている。
【店舗情報】
ミスター・スタンプス・ワインガーデン
東京都港区六本木4-4-2 ヒルサイドパレス六本木 1F
03-3479-1390


