いせやの物語
- いせやの物語
- 第一話
墓地をつくるのではない。
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ヨーロッパでの出会い
色鮮やかな花々。緑の芝生が敷きつめられた開放的な空間。
1987年、ヨーロッパ視察で訪れた霊園は、
まさにお墓というよりグリーンガーデンだった。
その感動に強く胸を揺さぶられた。——日本にもガーデニング霊園をつくろう。
帰国後、すぐさまチャレンジがはじまった。 -
ゼロからの挑戦
スタートにあたって、あるのはイメージだけだった。
ガーデニングの経験もノウハウもなく、管理のいろはも知らない。
それらを学ぶところからはじめるしかなかった。
とはいえ、「花をたくさん植えました」という見かけだけのものには
決してしたくない。
確固たる想いのもと、花や木々とともにじっくり空間を育てていこう。
なにしろ、日本で初めてともいえる真のガーデニング霊園をつくるのだから。 -
バラへのこだわり
園の象徴となるものがほしい。そうだ、バラがいい。
清楚でありながら艶やかで、華やぎがある。
訪れる人の心を和ませ、明るくしてくれる。
しかも、品種が豊富で、霊園の区画イメージに合わせて彩りに変化をもたせられる。
そのために、専門の植栽師を募った。
そして、たっぷりとゆとりある空間デザインをめざした。 -
7年を経て生まれた、「佐倉ふれあいパーク」
1995年、千葉県佐倉市に開園した「佐倉ふれあいパーク」。
構想を抱いてから、7年の歳月が流れていた。
しかし、その間に、バラも、木々もしっかり根付き、
花と緑の美しいコントラストを描いていた。
「ここならお友だちもたくさんお参りに来てくれるだろうから、
息子もさみしくないでしょう」。
小学生のお子さんを亡くされたお母さんからのコメントが載った新聞を目にし、
心から思った。
「ああ、ふれあいパークづくりに取り組んでよかった」と。